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El olvido que seremos 忘却の国/父の想い出

コロンビア映画 (2020)

コロンビアにおける公衆衛生の父とも言える存在のエクトル・アバド・ゴメス博士、1987年 8月25日に極右の準軍事組織によって暗殺された静かな平和主義者を、その息子であるエクトル・アバド・ファシオリンセが2006年に小説として刊行した回想録に基く映画。エクトル・アバド・ファシオリンセは、1981年にコロンビアの全国短編小説賞、2000年に中国の年間最優秀外国小説賞、本作でポルトガルのラテンアメリカ文学賞とアメリカの人権文学賞を受賞している。映画は、エクトル・アバド・ファシオリンセ、愛称、ホアキンが12歳だった時の “少年の目” を通して描かれている。だから、彼の目に入らないものは一切描かれていない。それだと、父のゴメス博士が実際に何をしたかが分からないと思われがちだが、逆に、仕事を離れた時のゴメス博士の優しさがひしひしと伝わってきて、映画のテーマからは想像できないほど暖かい気持ちにさせられる。それが、プラティーノ賞〔イベロアメリカでの最高の映画賞〕の作品賞、監督賞、主演男優賞、脚本賞、美術賞、スペインのゴヤ賞のイベロアメリカ作品賞を獲得し、IMDb 7.3、RottenTomatoes 83%と高い評価を得ている理由であろう。日本では、ラテンビート映画祭2020でオープニング特別上映されたが、公開された訳ではないので、未公開扱いした。

オープニングとエンド・クレジットを除外した本編131分44秒のうち、少年時代のカラー部分の長さは75分5秒。全体の57%に当たる。このサイトでは少年に焦点をあてた紹介をしているので、大人になってからの白黒画面の43%は、重要な場面に限っての記載とした。映画は、1983年、イタリアのトリノ大学の学生だったホアキンが、父の大学退官記念講演のため、故郷コロンビアのメデジンに一時帰国するところから始まる。会場で父の顔を見ると、すぐに12歳のホアキンに切り替わる(冒頭の白黒場面は僅か6分)。そこで紹介される1971年の少年時代の想い出は、①カリフォルニア大学の博士の歓迎昼食会、②ベビーシッター代わりの修道女との言い争い、③大学の父の部屋での1コマ、④ユダヤ人への悪戯の加担、⑤父との熱烈愛とそれを見た友達の意地悪な批判、⑥ユダヤ人への謝罪、⑦貧困地区の衛生状態調査への同行、⑧大司教を招いての昼食会、⑨家の壁への悪意の落書き、⑩大学の父の部屋での問題発生、⑪大学の一時撤退と海外出張、⑫出張中のテープレコーダーでの “会話”、⑬転校、⑭父の帰国、⑮母と姉達の旅行出発、⑯父と2人だけの夕食とポリオ・ワクチンの接種、⑰海岸での母達への合流、⑱大学の父の部屋の壁への悪意の落書き、⑲初めての検死室、⑳四女のメラノーマ判明と悲しい現実、㉑長女の赤ちゃん誕生、㉒四女の死。ここまでが、少年時代のストーリー。この後、父の大学退官記念講演の続きへとつながり、その後、すぐに1987年に進む。そこでは、社会の混乱が多発し、父がマスコミに出て一部の反感を買い、8月25日に悲劇が起きるまでが語られる。なお、訳出にあたっては、英語字幕の信用度が低かったので、台詞からの改変の全くないスペイン語字幕を使用した。

12歳のホアキンを演じるのは、ニコラス・レイエス・カノ(Nicolás Reyes Cano)。これが映画初出演で、準主役。情報は皆無だが、すごく頭の良さそうな顔立ちだ。

あらすじ

映画は、1983年、イタリアのトリノから始まる。ホアキン〔ヘクトル・ホアキン・アバド・ファシオリンセ〕がアパートに帰ると、留守録に “父のかつての教え子で、今は教授をしている女性” からの伝言が入っていた。それは、父が大学を退職したのを記念する会を開くという通知のようなものだった。子供時代から父のことが大好きだったホアキンは飛行機に乗る(1枚目の写真)〔1958年生まれなので24-5歳〕〔トリノ→(鉄道)→ミラノ(MXP)→(9時間)→ニューヨーク(JFK)→(5時間半)→コロンビアのメデジン(MDE)までは、丸1日仕事〕〔ホアキンは1982年にニューヨークで英語を学んだ後 トリノ大学に入り、1987年に卒業しているので、これは短期的な帰国ということになる〕。コロンビア第2の都市メデジンのホセ・マリア・コルドバ国際空港には 一家が出迎えに来ていた(2枚目の写真、右から、母、三女のビッキー、長女のクララ、次女のマリルース)。会場に向かう車の中で、ホアキンが、「彼らは予告なしにパパを解雇したの?」と訊くと、母が、「ちゃんとあったわよ」と言う。ホアキンの父エクトル・アバド・ゴメスについて、アンティオキア大学のホームページ(https://www.udea.edu.co)には、「1978年に学部長を辞め、1982年に大学を退職したが(なぜか1年違う)、暗殺された1987年まで非常勤教授として教鞭を取った」と書かれている。5人が会場に着くと、お別れ会はもう始まっていた。この会を企画し、トリノまで電話を掛けてきた教え子が、壇上で長々とスピーチをするが(3枚目の写真)、その中で印象に残る言葉は、「あなたはこの国の公衆衛生について敢えて指摘した最初の人でした」「今日は、大学にとって とても悲しい日です」。4人の女性は最前列に座るが、ホアキンは敢えて2列目に座る。そして、壇上の女性ではなく、父の方をじっと見る。そうすると、父に付き添ってきていた五女のソルがそれに気付き、すぐ父に教え、父がにこやかな顔でホアキンを振り返る。そして、手に持っていた紙を筒状に丸めて、ホアキンを見る(4枚目の写真、矢印)。

映画は、ここからカラーになる。1971年。ホアキンにとって最も幸せだった子供時代、父に可愛がられ続けた少年時代を象徴するように、色遣いがとても鮮やかになっている。そして、最初の映像は、父がやっていたように、筒状に丸めた紙を通してのホアキンが見たもの。ホアキンはオモチャの拳銃で妹(五女)のソルを撃ち(1枚目の写真、矢印)、その音を聞いたひょうきんなソルが、如何にも撃たれたかのように倒れる。次に映るのは、白黒TVの音楽番組を聴きながら、その前で踊っている四女マルタ。紙筒が1階に移動すると、そこでは、母と2人の姉が、もうすぐ来るサンダース博士をもてなす料理の準備で忙しい。ホアキンは遂に母に見つかり、「それは何?」と訊かれる。「拳銃なんかで遊んでるのをパパに見つかったら…」と叱られる(2枚目の写真、拳銃は左手を下げているので見えない)。そして、玄関のブザーが鳴る。ホアキンがドアを開けると、父の車が見える。1946-48年に作られたクライスラーのプリムス・デラックスというクラシックカーだ〔この時点で、製造後23-25年〕

ホアキンはガレージの上の窓まで走って行くと、運転している父に向かって、「パパ」と言って手を振る(1枚目の写真)。そして、そのまま父の書斎に入って行くと、1枚レコードを取り出しプレイヤーにかける(2枚目の写真)。流れてきたのはアメリカ国歌。ホアキンはすぐに窓を開けると、車に乗っていたアメリカ人のサンダース博士に向かって敬礼する。博士は、胸に手を当てて、ホアキンの気配りに応える(3枚目の写真)。

サンダース博士を主賓に迎えた屋外での昼食会が開かれる。そこで、修道女のホセファが博士に紹介される。彼女は、ホアキンとソルの養育用にこの家に住み込んでいる。長女が博士に、「サンフランシスコのこと、お伺いしたいわ」と訊く。先のアンティオキア大学のホームページには、「エクトル・アバド・ゴメスは、1964-65年、公衆衛生学部長を務め、1967年2月には、公衆衛生に関してカリフォルニア大学への3ヶ月の出張が認められた。そして、カリフォルニア大学で教え始めたので、滞在が数ヶ月延長された」と書かれている。2人は、その時に知り合ったのであろう。博士は、ほとんどの時間を大学で過ごしているので、街のことはほとんど知らないと答える。しかし、ビッキーが、「ヒッピーが一杯いるって本当ですか?」と訊くと、それに対しては肯定する。ソル:「ヒッピーって何?」。博士:「奇妙な人たちだ」。父は、変な話を打ち切らせ、博士のコロンビア来訪の目的は、自分と一緒に “子供たちの未来” というプロジェクトで働くためだと説明する(1枚目の写真)。そして、その目的が、「貧しい地域における種々の社会的側面の研究」にあるとも。それを聞いたホアキンが、「僕も一緒に行っていい?」と訊き、父が嬉しそうに 息子の頭髪をぐちゃぐちゃにする(2枚目の写真)。それを聞いた長女は、「勉強したくないからでしょ」と言い、父は 博士に向かって、英語で 「学校が嫌いなんですよ」と打ち明ける。「どうして?」。母:「虐められたから。保育園に行った時には すごく泣きましてね、夫はそれを嫌がり、年中家にいてもいいことにしたんです」。博士:「本当に?」。父:「すごく小さかったから」。マルタ:「今でも小さいわ」。母:「それに、甘やかされて」。次女は 「とってもちっちゃくて、成長しない」と言って、指で5センチくらいの大きさを作る。それを見たホアキンが、次女の指をポンと叩き、父は、息子の手を取ると、「ちゃんと洗ったのか?」と訊く。そして、問答無用で手洗い場に連れて行き、ポットの水を手に掛けながら、「一日中に触れたバクテリアが、全部口に入るんだぞ」と注意する(3枚目の写真)【原作によれば、「父は衛生学者だったので、私たちの体に何か汚れがあることに耐えられず、まるで手術前のような作法で、私たちに手を洗い、爪をきれいにすることを強いた」と書かれている】

その夜、ホアキンとソルが、修道女の前で、早口で寝る前の祈りを唱えていると、彼女は、「もっと ゆっくり」と注意し、一語一語考えて唱えるよう要求する。ホアキンは、「僕のパパ、寝る前に祈ってる?」と訊いた後、すぐに 「ううん、パパは祈ってないよ」と事実を述べる(1枚目の写真)。修道女もそのことは知っていて、「残念ながら あなたのお父さんは祈っていません。だから、死んだら地獄に落ちます。祈りもしないし、日曜のミサにも出ないからです」と言う〔2人の幼い子の養育用に住まわせてもらっている人間が、このような恐ろしいことを平気で言うとは!〕。ホアキンは、修道女が囲いの中に入ると、妹に向かって 「僕は、寝る前に二度と祈らないから」と宣言する。それを漏れ聞いた修道女が怒りの声を上げると、「パパが天国にいないんなら、そんなトコ行きたくない。一緒に地獄にいる方がいい」と断言する【原作と、全く同じ言葉】。翌朝、父と博士が地図を見ながら話し合っている。「第1地区から始め、それから、第2、3地区に行きましょう」。「腸チフスがひどいのはどこですか?」。「第1地区だと思います」。「地区はとても広いですから、16か32に扇状分割し、あなたの学生たちに各セクターの飲料水の検査をさせるのがいいと思います」。「それがいいですね。学生たちはとても熱心ですから」。そう言うと、父は立ち上がり、会話の途中、デスクのタイプライターを打ち続けていた息子の横に行き、印字した紙を見てみる(2枚目の写真)。そして、それを引き抜くと、「息子が描いた素敵な物語を見て下さい」と言いながら博士に渡す。「何とシンプルな文体! ヘミングウエイによく似てますね」。「未来の、ノーベル賞作家です」〔冗談にしても、かなりの “親バカぶり” にも見えるが、ホアキンは、この映画の原作で、最高のラテンアメリカの文学作品に対して与えられる「Casa de América Latina」賞を受賞していているので、この頃から才能はあったのであろう〕。そこに、三女と四女が入ってきて、父にお金をねだり、父は、鞄に財布が入っているからホアキンに渡すよう指示し、ホアキンは2人にお金を渡した後、自分の分も ちゃっかり頂く(3枚目の写真、矢印) 。

家の外で、ホアキンが同年代の少年と一緒にいる。1人の老齢の女性が長いパンの複数入った袋を持って歩いてくる。「来たぞ」。2人は、密生した気根を持つ大木の中に隠れる。ホアキン:「あの人たち、ホントにユダヤ人?」。「ああ。ヘブライ人はパンを食べる」〔コロンビアの主食はコメ、キャサバ芋、ジャガイモ、トウモロコシ〕「親が、そう話してたんだ」。「ホセファ〔修道女〕は、ユダヤ人がイエス・キリストを殺したって言ってた」。少年はパチンコで(1枚目の写真)、女性が入って行った家のガラス窓に石で丸い穴を開ける。そして、「Marranos〔隠れユダヤ教徒〕!」と叫びながら走って逃げる(2枚目の写真)。2人は、ホアキンの家の前の道路に行くと、草を投げ合って遊ぶが、そこに父の運転する車が入ってくる。父は窓から手を出し、ホアキンも手を上げて応える。そして、そのままガレージの前まで車と一緒に走って行くと、助手席の博士に 「どうでした?」と訊く。博士:「面白かった。とても、面白かった」。ホアキンには、「interesting」の意味が分からない。父は車から降りると、ホアキンに、「Amor〔坊や〕」と声をかけ、抱き上げると、首筋に3つ、額に1つキスし(3枚目も写真)、「ママは戻ったか?」と訊く。「うん、中にいるよ。ひどいママだったけど」。「どうした?」。「僕に無理矢理 粥を食べさせたんだ」。「ママにちゃんと言っておいてやるからな」。そのやり取りをずっと見ていた少年は、2人きりになると、「おい、抱き締めてキスするなんて、お前のパパ、ゲイなのか?」と言う。「何てこと言うんだよ、デブ」。「ゲイは男とキスするんだ」。「そんなことない」(4枚目の写真)【原作によれば、「私が家に帰ると、父は抱き締め、キスし、愛情のこもった言葉をかけ、最後に笑った。私が、そのことで、初めて “甘やかされた女々(めめ)しい男の子の挨拶” だと笑われた時、そのような嘲笑は予想していなかった。どの親も、子供に対して、そうするのが当たり前のことだと持っていたからだ。アンティオキアでは、そうではなかった。男同士、父と息子の挨拶は、冷淡かつ厳格で 愛情などないものだった」と書かれている】

その夜、四女のマルタが、英語の歌のギターによる弾き語りを博士の前で行い、博士だけでなく一家全員を喜ばせる(1枚目の写真)。このシーンが1分弱続いた時、電話がかかってくる。最初にメイドが取り、しばらく話を聞いていたメイドはそれを母に伝える。そして、母はそれを父に。日中、自分が友達と一緒にした悪さを知っているホアキンは、緊張して父を見ている。歌が終わると、父が立ち上がり、「ホアキン、来なさい。すべきことがある」と言う(2枚目の写真)。場面は変わり、日中、友達がガラスに石で穴を開けた家の玄関に 父とホアキンがやって来る。父はドアをノックし、家の当主が出て来ると、親しげに握手を交わす。そして、「息子が、こんなことは二度としないと謝りに来ました」と言い、その後、本人が、「ごめんなさい、マレビーチさん。二度としません」と謝罪する(3枚目の写真)。それを聞いた当主は、父と再度握手を交わして別れる。一緒に並んで歩きながら、父は、「クラリタ・グロットマンを覚えてるか?」と訊く。「ううん」。「クラリタはアンティオキア大学を卒業して最初に女性医師になった同級生だ。彼女はユダヤ人だった」(4枚目の写真)「ナチスがユダヤ人に最初にしたことは、彼らの店の窓を壊すことだった。それから、彼らはユダヤ人たちを強制収容所に入れて根絶しようとした。強制収容所の写真を見たことがあるか?」。「ううん」。「クラリタの両親は、そうした収容所の1つで死んだ。いつか写真を見せてあげよう」〔父は、厳しいなりに、すごく優しい〕

翌日は、先に2人が話していた第1地区での飲料水の検査。ホアキンの父や、ユダヤ人の家のあった地区とは全く異なり、如何にも衛生状態の悪そうな掘立小屋が急斜面に所狭しと並んでいる(1枚目の写真、矢印はホアキンと父、その上に博士がいる)。1枚目の写真の左側を流れる渓流から水を採取してきた男子学生が、水の入ったバケツをテーブルに置くと、女子学生がガラス瓶を入れて水のサンプルを取り出して博士に見せる(2枚目の写真、矢印)。その黄色い水を見た博士は 「臭い」と一言〔この地区の住民は、この汚れた水を飲んでいる〕。父は、「排水路と、予防接種が必要だ。きれいな水は、最高の医者よりも多くの命を救う」と付け加える。その後、一行は、両側に建物が密集する通りを歩き、ある家の前で偶然出会った母子の母親に、子供の年齢を訊く。「12です、先生」。父は、ホアキンとその子を並べ、博士に、「私の息子と同じ年です」と言う(3枚目の写真、矢印)〔栄養不足のことを指摘している〕〔映画の中でホアキンの年齢が分かる唯一の箇所〕。そのあとで、父は、博士に向かって、“人間が健康に育つのに必要な5つのA” として、「空気、水、食べ物、住まい、愛情〔aire, agua, alimento, abrigom, afecto〕」と言う〔すべてaで始まる単語なので “5つのA”〕。その後、一行は病院を訪れる。博士は、「これは、思っていたより深刻です。ワクチンは あるのですか?」と尋ねる。父は、「ワクチンですと? シルビア、説明しなさい」と言う(4枚目の写真)〔映画の最初に、大人になったホアキンに電話を掛けてきた女性〕。シルビアは、「アメリカで何ヶ月も使用されてきたワクチン〔この時点では、何のワクチンか不明〕を政府がまだ認可していないのは驚くべきことです」と説明する〔因みに、ファイザーの新型コロナワクチンの日本の接種開始は、アメリカより2ヶ月と3日遅れた〕

先のシーンからどのくらい日数が経ったかは不明。ホアキンは、父の大学の階段教室に入って行き〔講義が始まる前〕、台の上に並べられている人間の骨に触ってみる(1枚目の写真)。横で骨を並べていた男性は、「パパは、君が そんなこと してるの、見たくないだろうな」と注意する。「今日、死体を持ってくるの?」。「いいや、今日は解剖してないから」。そのあと、ホアキンは父の部屋に行き、父のイスに座って暇そうにしている【原作には、「父は、少なくとも週に1度は、大学に連れて行ってくれた」と書いてある。そして、父の授業中は、机に座り、タイプライターを触っていたとも】。置いてあったスライドを両目に当てているのを見た秘書が、「大丈夫?」と訊くと、以前、博士から聞いた「interesting」を使って答え、秘書が笑う。そこに、ホアキンとは初対面の1人の学生が入って来て、挨拶した後、「これ、パパに渡してくれないかな?」と、木で作った箱を渡す。「ママが感謝を込めて作ったんだ」。「何に使うの?」。「ロウソウを入れるのに」(2枚目の写真)。学生が去った後、秘書は、彼が入学間もない時、ホアキンの父が助けてあげたこと、彼が遠くの村から来た学生で、故郷に戻る度に母親がホアキンの父への贈り物を託すと教える。暇を持て余したホアキンは、父のタイプライターに残されていた紙を読み上げ始める。「メデジン: 国民の恥。水路は腸チスフ菌をまき散らし、当局は何の対処もしていない」(3枚目の写真)。秘書は、それが新聞記事の原稿だと教える。そこに、父が入ってくる。ホアキンは、さっそく学生が持って来た贈り物を父に渡す。父は 「いい若者だ」と言った後、秘書に 「持っててくれ。家に持って帰らなくて済む」と言うので、“有難迷惑” といったところか。父は、ホアキンを連れてすぐ部屋を出て行く。

帰りに車に乗せてもらったホアキン。父は、街角で松葉杖をついた女性を見つけ、後続車を無視して車を停め、車を降りて行くと、「久し振りだな」と言って、抱き締める。そして、「いいものがある」と言い、後ろの車のクラクションには、「行け、行け」と合図し、トランクを開け、その女性用に作っておいた義足を渡す。それを見たホアキンは、後部座席から身を乗り出して2人を見ている(1枚目の写真)。そのあと、父は、自分の体の上にホアキンを座らせ、ハンドルを握らせて運転の体験をさせる(2枚目の写真)。「パパが新聞用に書いた記事 読んだよ」。「そうか? どう思った?」。「interesting。だけど、菌って何?」。「菌ってのは、顕微鏡を通してしか見られない細菌だ。この前採取した水を覚えてるだろ? 顕微鏡であれを見たら、何が見えたと思う?」。「菌」。「そうだ。あとで写真を見せてあげよう」。「パパ、僕 死体を見てみたい」【これと同じ言葉が、原作にある】。「前にも言っただろ。お前はまだ幼な過ぎる」。その日の夜、修道女は、「もし、死者が善人でなければ、地獄に行きますよ。神様は厳格ですからね」と、いつもの調子で話している。ホアキンが、父のことを前提に、「もし、善人でも、教会に行かなかったら、地獄に行くの?」と訊き、答えたくない修道女は、ホアキンに明日の日曜には、必ず教会に行くよう強く言う。その会話の中で、ホアキンの母が、大司教の姪だと分かる。

翌朝、父が書斎で仕事をしていると、玄関から四女がホアキンを叱る声が聞こえてくる。「そんな恰好で出かけてはダメよ! パパも、ヘルメットなして出掛けるなって言ってたじゃないの!」。「僕の自転車だ。好きなように乗るよ」。「パパ」という言葉が聞こえたので、父は、書斎から出て行き、ヘルメットを手に持つと、「お姉さんの言う通りにしなさい」と言う。「嫌だよ、パパ! ヘルメットなんか被ってるの僕だけだよ」。「そんなことは問題じゃない。転倒した時に守ってくれる」。「この子ったら、宿題もやってないのよ!」(1枚目の写真)。ホアキンはマルタの手を叩いて払いのける。それを見た父はホアキンを呼び寄せると、嫌がるのを無視して強制的にヘルメットを被せ、紐で縛る。「いいか、よく聞くんだ。お姉さんを二度と叩くんじゃない」。「姉さんが好きだから? マルタはお気に入りでしょ。何でも上手だから。ヴァイオリン、ギター、歌も…」。「そうじゃない。お前は、マルタを守らないといかん。他の姉妹も全てだ。女性を叩いてはいかん。バラの花びらでもだ」(2枚目の写真)。ホアキンは、そのまま自転車に乗って家を出て行く。彼の家の全景を3枚目の写真に示す。両親に6人の子供、修道女にメイド2人、後で登場するタタの12人が住むのでそれなりに大きいが、総2階の鉄筋コンクリート造の建物なので、かなり裕福な家庭だと分かる。次の画面では、ホアキンの行った先は写されず、彼が帰宅してから、妹のソルと一緒に宿題をやっている姿が映る(4枚目の写真)。ホアキンは宿題に飽きると、母の机に行き、速記の字を見て 「アラビアかインドの文字みたい」と驚く。

そのあと、母が運転し、三女のビッキーを助手席に、後部座席にマルタ、ホアキン、ソルを乗せてどこかに出かける。すると、ラジオでは、「新聞の彼の記事を読みましたか? 騙されてはいけません。彼は、大学にマルクス主義の思想を送り込んでいます」と、父の悪口が語られている。ビッキーは、父が悪者にされていることに憤る。しかし、ホアキンは、父の名前が出されて ようやく事態の深刻さに気付き、「ママ、パパのこと話してる」と心配する(1枚目の写真)。ビッキーは、「こいつら、人々のモラルを破壊してる!」と、強く反撥する。その後、母は車を建物の正面に停め(2枚目の写真)、中に入って行く。因みに、母の車は、父のよりは新しいが、1961年製のGMのシボレー・ベルエアという、当時流行った幅広で巨大なだけが売り物の車。1971年の時点では、かなり古い中古車といったところか。ところで、この映像が誤解を招きやすいのは〔特に、地元メデジンの観客にとって〕、この建物が、父の勤めているアンティオキア大学の医学部正面玄関(3枚目のグーグル・ストリートビュー)であること。だから、母が夫に会いに来たのかと思ってしまう。しかし、母と一緒に建物から出て来たのは、母の伯父のメデジン大司教。この建物を、あたかも大司教館のように見せているが、実際のメデジン大司教館を4枚目のグーグル・ストリートビューに示す〔なぜ、このような紛らわしいことをしたのか?〕。大司教は、久々に姪の子供達と会えるとあって、わざわざ建物から出て来たのだが、「みんな大きくなって」(5枚目の写真)と喜んだのはいいが、「娘さんが2人、行方不明ですな」と残念がる。そして、「日曜に昼食にお邪魔するからと、パパに言っておいてくれるかな」と後部座席の子供達に言う。それを聞いた母は、「ありがとう、夫も喜びますわ」と感謝する。

日曜日の屋外昼食会。冒頭のカリフォルニア大学の博士と同じ構成だが、違っているのは、主役が父と博士から、母と大司教に変わったこと。大司教は、「あなたのお母さんが、ホールや部屋を走り回っているところを想像してみて下さい。 彼女は小さなお姫様のようでした」と、昔を振り返る。母は 「女の子にとって、最高の場所じゃなかったわ。司祭さんばかりで」と娘達に言い、大司教を笑わせる(1枚目の写真)。マルタは、「なぜそこに住んでいたのですか?」と大司教に訊く。「彼女は 両親が亡くなった時、私と一緒に暮らすようになりました」。ここで、父が口を出す。「それ以来、彼女はお姫様のように振る舞うのをやめません」(2枚目の写真)。そこで デザートが持ってこられ、会話の内容も変わる。大司教は、母の車の中で流れたラジオ放送について、父にこう弁明する。「私は、文書を読まずに署名したと、セシリア〔母の名〕に説明しました。彼らが、あなたに対してその文書を使うとは知らなかったのです」。母は、「そのことは、もう話しました」と付け加える。父は、「そのことを気にしておられるなら、署名する権利はあなたのものです」と、一見了承したような、しかし、不注意な署名を批判するような口調で答える。その批判を感じ取った大司教は、「私の家族の一員に対して? もちろん違います」と否定するが、「問題なのは、あなたの態度が、時に、率直に言って…」と口を濁す。父は、それを打ち切るように、「医師というものは、必要としている人々を訪れ、癒しを与えるために歩き回るのです」と、信念を吐露する。大司教:「すべてが人道的な配慮によるものであって欲しいと願っているだけです。良きキリスト教徒としての義務を忘れないで下さい」〔いったい大司教は何を言いたいのか? 文書への署名は意図的なものだったのか?〕。「ご心配なく。私は、イエス・キリストが医師に求める仕事から1センチたりとも外れないようにしています」。この言葉に対し、大司教は、初めて本格的に批判する。「キリストは決して声高に叫んだりはしなかったと、申し上げておきたい」。「私は違います。見たことを話しているに過ぎません」〔以前紹介した 『デュプレシスの孤児たち』の中のモントリオール大司教もそうだったが、キリスト教の高位者は、どうして 現実を回避し、政府に迎合的なのだろう?〕。昼食会の暗くなった雰囲気を変えようと、母は、タタ〔Tatá〕を連れて来るようホアキンに頼む【原作によれば、「ホアキンの祖母の乳母。ほぼ100歳で、半分聾啞、半分盲目だった」、と書かれている】。ホアキンは2階まで走って行くと、車椅子に座ったタタに 「一緒に来たい?」と訊く。タタは 「大司教に会いたい」と普通に話せるので、原作の設定とは違うようだ。ホアキンは、食事会の場所までタタの車椅子を押してくる(3枚目の写真)。

その夜、寝る前に、父は、ホアキンに、「お前は 毎日曜、教会に行くんだ」と妻に聞こえるように大きな声で言った後、小声で 「ママを幸せにしないとな」と付け加える。ホアキンは、「パパが言ったように、全部ウソでも?」と訊く(1枚目の写真)〔ホアキンが顔に塗っているのは、父が使っていた髭剃りの石鹸〕。「全部ウソでも、だ。もし 神が本当にいるなら、私たちが礼拝に行っても行かなくても気にかけないだろう。思うに、神にとって人間は、医師が顕微鏡を通して観察する寄生虫と同程度の存在なのさ」。話が終わり、寝室に入って来た父に、ソルが絵本を読んで欲しいと頼む。ソルが持って来たのは、オスカー・ワイルドの童話集 『ナイチンゲールとバラの花』。父は、「男の子の物語だぞ」と言いながら、ベッドで読み上げ始めると、ホアキンもベッドに乗り、ソルと一緒に聞く(2枚目の写真)。

翌朝、ホアキンがスクールバスに乗る(1枚目の写真)〔結局、彼は学校に通っている〕。ホアキンがランチボックスを忘れたので、修道女がすぐ後を追い掛け、窓越しにホアキンに手渡す(2枚目の写真)。そして、振り返って玄関に入ろうとすると、壁に「共産主義者」と書かれていてびっくりする(3枚目の写真)。ラジオを聞いた右派が、父の主張を拡大解釈して落書きしたものだ。

その日、学校が終わってから、いつものようにホアキンが大学の父の部屋にいる時、父は、室内を歩きながら語り、秘書に口述タイプさせている。「私は 憚(はばか)りながら申し上げねばなりません。私は市民としての権利を放棄し、考えや意見を自由に表現するという教育者としての立場を理解していませんでした」(1枚目の写真)。ここで。ホアキンが口を出す。「ヒルマさん〔秘書〕、“traquegrafía(気管造影)” 知ってる? 僕のママは使ってるよ」。父は、すぐに単語の間違いに気付き、「“taquigrafía(速記)” だ」と訂正する。秘書のタイプを打つスピードは非常に早いので、父がゆっくりと話す言葉を的確に難なく打っている。しかし、父が、「本学は、コロンビアの深刻な状況を黙認すべきではありません」と言うと、秘書はそれ以上タイプするのを止めてしまい、その後の 「国民の不安から目を逸らし、社会的不公平を存続させる権力を支持することで」の部分は、宙に浮いてしまう(2枚目の写真)。父が 「タイプして」と2度催促すると、秘書はようやく打ち始める。

それから数日後(?)。呼び鈴がなったので、家にいたホアキンが玄関を開けると、そこには、父の車が横付けされ、父が 大学から持って来た物をダンボール箱に入れ、立っている。そして、「姉たちに、手を貸してくれと言うんだ」と言うと(1枚目の写真)、その箱をホアキンに渡す。車の中には、ダンボール箱が一杯置いてある。夜になり、ホアキンが玩具の自動車で遊んでいると、母の声が寝室から聞こえてくる(2枚目の写真)。「あなた、なぜ今、そればかり考えなくちゃいけないの?」。それに対し、父は、「私たちは、世界のどこに住んでると思ってる? ヨーロッパか日本か〔1971年の日本は既にGNP世界第2位だった〕? メデジンでは、誰もが私たちのように暮らしてるか? 水道も飲めない子が、電話を持ってるとでも?」【この言葉は、原作によれば、父が病気で講義に行けなくなった時に、多くの学生が無駄にバス代を払って教室に行くことを嘆いていた時、ホアキンが「電話で知らせたら」と提案したのに対する父の怒りの言葉。そこでは、一家がメデジンの高級住宅地Laurelesに住んでいることが分かる】。ここで、ホアキンが、「ママ、僕たち、お金持ち?」と訊く。母は 「お金持ちじゃありませんよ。何かしら? 裕福(acomodados)〔お金に不自由なく楽に暮らしているというニュアンス〕ね」 と答える【これも、原作では、母の口癖だった】。「それって何?」。「知らないわ。それとも、パパはお金のことなんか考えたことないから、突然 お金持ちになったのかも。でも、ママは幸せじゃないわ」(3枚目の写真)「いいから、もう、マルタのとこに行ってなさい」。

ホアキンは、マルタの部屋に不安そうな顔で入って行く。「どうかしたの?」と訊かれ、「パパとママがケンカしてる」と答える。「スパイしてたの?」。「してないけど、大声だから聞こえたんだ」。「あんた何も知らないの? パパは大学を追い出されたのよ」(1枚目の写真)。「どうして? パパが神を信じていないから?」。「そんなとこね」。アンティオキア大学のホームページには、このことに関する記述は何もない。「1969-70年は医学部の学部長で、その後は、予防医学・地域保健学科の教授。学内での仕事に加え 1976年まで所長を務めたアンティオキアの国立社会保障研究所のような他機関の役職を歴任」とある。ホアキンは、父が書斎でJacques Monodの『Le Hasard et la Nécessité(偶然と必然性)』(1970)という新刊本を手にして読み始めると、自分も父の足元に座って読め始める(2枚目の写真)。翌朝、スクールバスに乗ったホアキンが涙を拭いていると、パチンコでユダヤ人の家のガラスに穴を開けた友達が、「どうした? まだ怒ってるのか?」と訊く〔ということは、あの事件から、まだ日が浅い〕。「そうじゃない。パパは他の国で働くつもりなんだ」(3枚目の写真)。

父の出発の日、ホアキンは、父に抱き着き、「パパ、行かないで」と頼む(1枚目の写真)。父は、いつも通り何度もキスした後で、娘達を集め、「みんなが直接やり取りできるように買ったものを見てくれ」と言って、テープレコーダーとマイクを見せる。そして、手紙ではなく、音声でやり取りをすれば、あたかも同じ部屋にいるみたいだと、その利点を分かり易く説明する(2枚目の写真、矢印)〔父は、向こうに着いたら、もう1台テープレコーダーを買うと話す〕。そして、ひと塊になった娘達を抱擁する。しかし、ホアキンはさっき父と別れた階段に顔を伏せて泣いていて、それには加わらない(3枚目の写真)。それでも、車が出て行く音が聞こえると、階段を駆け上がり、窓から見送った後で、父の寝室のベッドに伏せる。そして、枕に顔を押しつける。それを見たメイドが、「心配しないで。パパはすぐに帰ってみえるわ」と言うと、ホアキンは、「テレサ、この枕 洗わないって約束してくれる?」と頼む(4枚目の写真)。「なぜ?」。「匂いが消えるから」【原作には、「私は、動物のように父を愛していた。父の匂いが好きだった。父が旅行に出かけた時は、ベッドで、父の匂いを懐かしんだものだ。だから、姉たちや母に、シーツや枕カバーを替えないよう頼んだ」と書かれている】

そこから、ホアキンがマイクを手に、父に家族の様子を次から次に話す様子が(1枚目の写真、矢印)、小刻みなシーンの連続で映像化される。①タタが老人ホームに行ったこと(2枚目の写真)、②修道僧の言う通りおとなしくしていること、③ママが仕事をしている前で宿題を読み上げたこと(3枚目の写真)、④母に農場に行かされたこと、⑤次女のマリルースがボーイフレンドとオートバイに乗っていたこと、⑤長女のクララが家を出て行ったこと、そして、⑥四女のマルタの素敵な演奏と歌(4枚目の写真)。

そこからも、“ホアキンが父に語るというスタイル” で物語が進行する。「ママは、来年、僕を新しい学校に入れることに決めたよ」。ホアキンは、チリチリ髪をきれいに梳いて上品に見えるようにさせられると、イエズス会の学校に連れて行かれる(1枚目の写真)。そこの校長の神父は、母に 「当校の規則は、非常に厳格です」と話す。「彼は、イエズス会における入学希望者は3つのグループに分けられると説明したんだよ。1つは、天国の引き出しだって」(2枚目の写真)。「すぐに入学できる申請者を入れる場所です」。「2番目は、煉獄の引き出し。僕の申請はそこに入れられるんだって」。「お子さんの申請書は、ここに入れます。それは、彼の記録を注意深く調査しなければならないからです。 私どもは、あなたの家庭が悪に染まっていないか確信できないといけません…」。「それを聞いたママはカンカンに怒っちゃったんだ。誰かに大反対された時みたいに」。「これは地獄の引き出しです。私どもが、絶対に許可しない申請者を入れる場所です」。「なら 息子は、そこに入れて下さいな、神父さん。他の学校に入れますから。どうもありがとう。さようなら」〔ローマ教皇庁は、1814年にイエズス会の復活を許可した。その教皇庁の大司教の姪なのに、こんな侮辱的な対応を受けたので、彼女はこんなに怒った〕。「そこで、ママは、僕の従兄のハビエルが働いてる他のカトリックの学校に入れることに決めたんだ。ハビエルは、僕を他の子供たちに紹介してくれ、すぐに友だちになれると言ってくれた」。「きっと、気に入ると思うよ」。ホアキンは、廊下に飾られたアダムとイヴの絵を見て、「パパは、こんな風に世界は始まらなかったと言ったよ。それは宇宙的規模での唯一無二で 二度と起きない瞬間だったんだって」(3枚目の写真)。父の書斎にこもったホアキンは、「毎日、美術の歴史の本を読んでるよ」と話すが、見ているのは。女性の裸体画のページだけ(4枚目の写真)。

昼食が終わると、一家は父から送られてきたテープを聴きながら、バリ島でのお土産に触れて楽しんでいる(1枚目の写真)。父のテープには、バリ島のことが吹き込まれていたが、最後に、ホアキンだけに特別のメッセージが入っていた。「ホアキン、忘れるんじゃないぞ。もしホセファ〔修道女〕に逆らって『ブラバンテのフェノベバ』〔中世の伝説のヒロインの話〕を読んでも、寝る前にマチャードやネルーダの詩をちゃんと読んでおくんだぞ」というもの(2枚目の写真)。それが終わると、父がネルーダ〔1971年にノーベル文学賞受賞〕の詩『Resurreciones(復活)』の前半を朗読する。「また生が与えられても、私は同じ道を歩むだろう。くり返すことができるから。生まれは異なり、うわべは違っていても、すり合わせていけばいい。でも、あれがいざ起きたら、もしヒンズーの宿命〔輪廻転生〕に遭ったら、生まれ変わりを強いられてしまう。そうなったら象にはなりたくない、よぼよぼのラクダにも。でも目立たないエビならいい、海の赤い雫になれるから〔少し意訳した〕。ホアキンは、ベッドに入っても、父の朗読を聞いて、というよりは、父の声を聞いて にっこり微笑む(3枚目の写真)。

いよいよ 父が帰って来る。空港まで迎えに行ったのは、母、三女のビッキー、ホアキン、末娘のソルの4人。父は、飛行機から出て来ると、4人を見つけて帽子を振る(1枚目の写真)。それを見た4人は大喜び(2枚目の写真)。次のシーンで、母の車の助手席に座った父は、後ろを振り向いて、「新しい学校は気に入ったか?」と訊く。ホアキンは、「気に入る? まさか」と答え(3枚目の写真)、母から、「嘘付いちゃダメよ」と たしなめられる。その直後、話題を変える意味でも、ホアキンは、先日、父が義足をプレゼントした女性を見つけて、注意喚起する。しかし、その女性は、父が折角渡した義足を履かずに、松葉杖を使っている。父が理由を訊くと、家では使っているが、街頭で仕事をするには松葉杖の方がいいとのこと。ひょっとして、仕事とは、何かの販売か物乞いなのだろうか? それなら、松葉杖の方が同情を呼ぶ。父の “親切” が、すべての人に “幸せをもたらす訳ではない” ことへの一つの警鐘なのか?

その直後のシーン。一瞬、戸惑うが、父が大きな鞄を次々と母の車のトランクに入れ、母と 長女を除く娘達がその周りに集まっている(1枚目の写真)。よく注意して見ると、①母の服、②父のネクタイ、③ホアキンの服などが違うので、先程とは全く別の日だということが分かるのだが、映画を観ているだけでは気付きにくい。ビッキーが 「ラファ叔父さんの家までホントに28時間もかかるの?」と母に尋ね、母は 「そうよ。だから 今出かけるの。みんな車に乗って」と言う。今度は、マルタが 「なんで、この子は一緒に来ないの?」と母に訊き、ホアキンが 「僕は、パパと一緒に、明日、飛行機で行くんだ」と言うので、母と4人の娘は、これから車で28時間かけて母の弟の家まで行き、父とホアキンは1日遅れて飛行機で加わることが分かる。女性が全員車に乗ると、父とホアキンが仲良さそうに、それを見送る(2枚目の写真)。車が動き出すと、ホアキンは父から離れて車の後を追い、手を振る(3枚目の写真)。

その日の夕食は2人だけ。父が食べ終わると、ホアキンが 「何て静かなんだろう」と言う(1枚目の写真)〔父がいない時は、母を含めて最大6人の女性に囲まれているので、結構騒がしい〕。「そうだな」。「もう食べないの?」。「満腹になるよりは、少し空腹の方が好きだ。控え目が重要なんだ。それが ワクチンの秘密なんだ。少量の病原体を入れることで、体に それと戦うことを学ばせる」。「そうなの?」。「ああ。ここに入れてある。新しいワクチンだ」。そう言うと、父は立ち上がって冷蔵庫を開ける。「これは、まだどこでも使われていないが、世界中のポリオを根絶させられる可能性がある」と言いながら、注射器をホアキンの横に持ってくる。そして、「もし、効くと証明できれば、誰も反対はしない」と言いながら、ワクチンを注射器に入れる(2枚目の写真、矢印)。「全国的な予防プログラムを立ち上げられる。だから、何千人もの子供たちの命を救うために、お前の勇敢な協力が必要なんだ。病院で、病気の子供たちをたくさん見たろ?」。そう言いながら、ホアキンの腕をアルコールで消毒する。そして、如何にも痛そうな注射(3枚目の写真)。この感動的なシーンは、ある意味、完全に間違っている。アンティオキア大学のホームページには、「1957年、ソーク(死滅ウイルス)ワクチンとサビン(弱毒化ウイルス)ワクチンの有効性と安全性についてまだ論争があった時、メデジンの南西の町アンデスでポリオが流行し、エクトル・アバド・ゴメスは サビン・ワクチンの集団接種という大胆な決断を下した。そして、実施に先立ち、その効果と無害さを示すため、自らの3人の娘に対し接種を行った」と書かれている。この映画の1971年という設定の14年も前、まだホアキンが生まれてもいない時の話だ。1961年に、日本が国産のソーク・ワクチンの製造を停止し、ファイザー製のサビン・ワクチンの緊急輸入に走り、日本をワクチン後進国にしてしまった歴史的悲劇〔だから、今回のコロナでも、ワクチンが製造できなかった〕を知っていれば、1971年のこのストーリーが奇妙だと気付くハズだが、半世紀も前の話なので、脚本の執筆者は、①エクトル・アバド・ゴメスが自分の子供に接種したことは事実、②映画はホアキンを中心にまわっている、の2点で、敢えてここで再現して見せたのであろう。

翌日、2人は飛行機に乗る。搭乗時間は1時間弱。父は、「私が医学部の学生最後の年に、従兄のルイスから家に来てくれと頼まれたこと話したかな?」と話し始める(1枚目の写真)。「ファビオさんのお父さんのこと?」。「そうだ」。父によれば、ファビオは、その頃、ホアキンと似たような年頃で、悪戯っ子なのでルイスは困ってしまい、自分に助けを求めたと話す。そして、ここからが重要なのだが、ファビオに その時どう話したか。父は、「君は、これまで通りやってればいい。誰かが傷付くこともないし、君の年頃なら普通のことだから。だが、1つだけ忠告させてくれ。手掛かりを残さないこと。とりわけ、お父さんには見つからないように」〔いかにも、この父らしい〕。そして、しばらくしたら、ルイスから電話があり、息子が悪いことをしなくなったことに感謝していると言われたと話し、ホアキンを笑わせる(2枚目の写真)。

一家は海辺にいる。コロンビアの海岸線は非常に長いので、どこに行ったのかは分からない。木の桟橋に行ったホアキンとソル。ソルは兄に 「飛び込んでよ」と言うが、ホアキンは泳げないので、「やだよ」と断る(1枚目の写真)。ソルは、兄の腕を引っ張って 「弱虫!」と言うが、ホアキンは頑として動かない。一方、桟橋から100メートルほど離れた木陰で昼食を取っている一家で、マルタの隣に座った父は、偶然 彼女の首に黒っぽい出来物を見つけ、「これ、医者に診せたか?」と心配する(2枚目の写真、矢印)。マルタは 「パパも医者じゃなかった?」と笑っただけだが、父は、母にも 「ちゃんと診せた方がいい」と注意する。一方の桟橋。生意気なソルは 「私も泳げないけど、あっちの舟にジャンプして飛び移れるわ」と言い、ジャンプするが届かずに海に落ち、「助けて!」と叫ぶ。しかし、ホアキンには何もできない。その叫び声を聞いた父が、急いで駆け付ける。幸い、地元の子供達がソルを助けてくれていて、父は、「ありがとう」と言って娘を抱き上げる。そして、何もできずに立って見ていたホアキンに、「なぜ、何もしなかった?」と言い捨てて去って行く(3枚目の写真)〔泳げないことくらい知らないのか?〕。この言葉に、ホアキンは傷付く。

ホアキンが、久し振りに大学の父の部屋にいる。すると、廊下から父の声が聞こえてくる。「違う、諸君、誤解するな、私たちは世界を変えようとしているのではない。変えるのを助けられる人材を育てているんだ」。男性:「なら、寡頭政治の支配者と同じじゃないですか? あなたも、そいつらの仲間ですか?」。女性:「戦わなければ、物事は変わらないわ!」(1枚目の写真)。「私は医者だ。私の仕事は命を救うことで、危険に曝(さら)すことではない」。その言葉で、過激な学生たちは去って行く。父が部屋に入って来ると、ホアキンはさっそく、「パパ、今日は解剖の講義だよね。死体を見せてもらえる?」と尋ねる。父は、先ほどの “口撃” で気が立っていたので、その要望は無視し、一緒に家に帰る。その時、ドアのすぐ横に、「ファシストの教授」と落書きがされている〔以前の、共産主義者とは正反対の “評価” だ〕

翌朝、父は、まだ眠っていたホアキンを無理矢理起こす(1枚目の写真)。そして、連れて行った先は、検死室。新しい死体が2体置いてある。検死医は、父と旧知なので歓迎の握手をする(2枚目の写真)。父は 「息子だ」と、ホアキンを紹介する。検死医は、相手が小学生なので、「いいんですか?」と心配するが、父は 「心配ない。もう大きい」と保証する。ホアキンは、父が、死体を覆っている布をめくって顔を確認するのを離れて見ている。「彼女は 学生運動に加わっていたな」(3枚目の写真)。検死医は、死体を覆っていた布を脚まで下げる。「刺し傷が ここにあります。こちらにも」。ホアキンは、目を背け、室内に置いてある瓶詰め標本を見るが、それにも圧倒され、そのまま後退する。すると、横たわっていた死体の腕に背中がぶつかる。

驚いて振り返ったホアキンが、台から垂れ下がった死体の腕に触れようとすると、急に腕をつかまれて、恐怖で絶叫する(1枚目の写真)。この後半部分は、ホアキンの悪夢で、ベッドから叫びながら起き上がる。その声を聞いた母が最初に駆け付け、次いで父が 「どうした?」と訊きながら抱き締め、「大丈夫、パパがいるぞ」と背中を撫でる(2枚目の写真)。「悪かった。許してくれるか?」〔これは、ホアキンを検死室に連れて行き、怖い思いをさせたことへの謝罪〕。次の映像は、サン・ビセンテ病院(Hospital San Vicente)で始まったサビン・ワクチンの集団接種の状況(3枚目の写真)〔ロケ地は、この病院の中庭〕。そのTVインタビューで、父は、ビッキーとマルタと肩を組み、最初の試験接種者として紹介する。その場にホアキンもいたのに、加えてもらえなかった。先に述べたように、この集団接種は、1957年にあった事実の、1971年へのかなり無理な “ジャンプ”。ただし、「自らの3人の娘に対し接種を行った」とあったので、ここで2人の娘を紹介すること自体は、間違ってはいない。とすれば、海に行く前にホアキンに接種した “架空の話” は、一体何だったのだろう? 娘達に最初に接種した後の二番煎じということになる。映画を観ていると、最初にホアキンに接種したように見えるので、このシーンは混乱しか招かない。

ある日の夜、ホアキンが手摺から1階を覗いていると、横の部屋からすすり泣きが聞こえる(1枚目の写真)。何事だろうと、ホアキンが仕切りのガラス窓に近づいて行くと、それに気付いた修道女がカーテンを閉めて見えないようにする(2枚目の写真)。父の寝室を覗くと、父がベッドに座って泣いている(3.枚目の写真)。

すぐ次のシーン。ホアキンが着ている服が違うので、別の日、ホアキンとソルが父の車に乗っている(1枚目の写真)。父は、車を道路脇に停めると、後ろを振り向き、「お前たちが知ってるかどうか知らんが… マルタは皮膚にメラノーマ〔悪性黒色腫〕ができた。とても深刻な病気だ。非常に厳しい医療を受けることになる」と話す(2枚目の写真)。「死んじゃうの?」。「いいや。何でそんなこと思う? マルタは最高の専門家の手に委ねる。たとえ、それがアメリカだとしてもだ。お前たちは、気をしっかり持って欲しい。そして、マルタには優しくな」。

それから かなり経ったある日、ホアキンが友達に顕微鏡を覗かせていると(1枚目の写真)、ガラス窓越しに、マルタを診た医師が、父に何か言ってから抱擁するのが見える(2枚目の写真、矢印)。そのあと、父は、ホアキン達がいる書斎に入って来ると、レコードをかけ、イスに座ったまま絶望感に浸る(3枚目の写真)。それを見たホアキンは、友達を連れて書斎からそっと出て行く(4枚目の写真)。

すぐ次のシーン。父は、ホアキンとソルを連れて病院の廊下を歩いている。2人とも嬉しそうな顔で、ソルは大きな花束を持っている(1枚目の写真)。相手がマルタなら変だと思わせておいて、行った目的は、長女クララの出産祝い(2・3枚目の写真)〔マルタもいる〕

そのあと、画面の色調が淡くピントが甘くなり、マルタがギターを弾き語りする場面が入る。その歌を背景に、色々なマルタの映像が走馬灯のように流れる。まるで挽歌のように。そして、色調が戻る。ホアキンがマルタの部屋に入って行き(1枚目の写真)、イスの上に置いてあったギターを床に置くと、その音で、マルタの周りに集まった母、長女、三女、ソルがホアキンの方を見る(2枚目の写真)。母は、「また歌えるよ。ギターを弾いて、美しい声で 私たち幸せにしてくれるわよ」と、マルタを慰める。父は、「もう少しモルヒネを与えよう」と言い、医師と一緒にいた次女に器具の入ったトレイを持って来させる。「殺菌したか?」。「そう思うわ」。「そう思うだと? そんなものを妹に使わせる気か?」。そう言うと、父は注射器を持って1階に降りて行き、心配になったホアキンが後を追う。父はキッチンに行くと、注射器を煮沸しようと用意を始める。そして、「すべての医療器具はちゃんと殺菌しないと!」と、マルタの危機的状況に動転して一人で喚く。ホアキンが、「パパ、どうかしたの?」と訊いても、耳に入らず、「何度言ったら分かるんだ!」と言いつつ、トレイをガス台に置く。「感染くらい危険なことはないのに…」。そこに、父を心配した母が入って来て、夫を後ろから抱き締めると、父は、タガが外れたように 泣き崩れる(3枚目の写真)。

そして、教会での葬儀。神父の言葉の最中に、父は、「もう無理だ」と妻に言い(1枚目の写真)、席を立つ。母は、夫を一人にしておくのは心配なので、ホアキンに後を追わせる。ホアキンが教会の出口に行くと、外に立ち尽くしている父をじっと見る(2・3枚目の写真)。ホアキンがすぐそばに寄って行くと、父は泣いている。ホアキンの少年時代の場面は、父の真下にある舗装の穴ぼこに溜まった水に映る父の顔のシーンで幕を閉じる(4枚目の写真)。

映画は、冒頭のお別れ会に戻る。それと同時に白黒になる。手に筒状の紙を持った父と、ソルが映る(1枚目の写真)。教え子のスピーチは、最後にさしかかっている。「ユニークな教授がもう沈黙される。だからこそ、ここであなたの声を聞きたいのです。先生、どうか一言お願いします」。全員の拍手に応えてエクトル・アバド・ゴメスが壇の前に行き、“一言” にしては長いスピーチをする。「悲しい日になるでしょう… もし、講義の終わりが、私の仕事の終わりだとしたら… でも… そうではありません。私は、認めます… この大学で何年も過ごした後、定年を告げる手紙を受け取った時… 私はとても空しく、とても悲しくなりました」(2枚目の写真)「私が教えたことはとても僅かで、どちらかといえば、自由に考えるよう いつも教えようとしてきました。しかし、教師であるべき私たちが、人生を通して得られた経験に伴う成熟さと分別に欠けていると、教える際に多くの間違いを犯すことになります」(3枚目の写真、矢印はホアキン)「単なる知識は 知恵ではありません。知恵だけでも十分ではありません。他の人に教えるには、知識、知恵、そして 優しさが必要です。そして、今、私はその段階にようやく達し、私が若かった時に欠けていた明瞭な着想でもって目標を達成しようとしましたが、追い出されてしまいました。きっと、あなた方の多くは、こう思っておられることでしょう。「アバド・ゴメス博士は、彼にとって大好きだった講義がなくなった今、何をするつもりだろう?」と。私は、庭でバラを育てることに全力を注ぎます」〔前にも書いたように、実際は退職後も非常勤教授として教鞭を取った

「1987年 メデジン」と表示され、父が丹精込めたバラ園からバラの花を切り取り、それをホアキンに渡している〔ホアキンの略歴を書いたサイトに、「ホアキンはトリノ大学を優秀な成績で卒業した後、1987年にコロンビアに戻った」と書かれているので、この状況は正しい〕。2人の交わす会話から、ホアキンの帰国直後らしいことが分かる。2人が刈り取ったバラを持って母の所に戻って来ると、そこには、ホアキンがトリノにいた時に結婚した奥さんと、1歳になる赤ちゃん〔後に、映画監督になるダニエラ・アバド(Daniela Abad)〕がいて、母が、嬉しそうにあやしている。そして、バラ園の近くの建物で開催された一家のパーティ。娘たちはみな結婚し、その夫や子供で室内は溢れ返っている。次のシーンは、ホアキンが久しぶりに訪れたアンティオキア大学の医学部。中には、10メートルおきに警官が立てっていて、物々しい雰囲気だ。これには、コロンビアの政治情勢が大きく影響している。1980年代のコロンビアでは、①麻薬組織(メデジン・カルテル、カリ・カルテル)、②左翼ゲリラ組織(コロンビア革命軍、4月19日運動、③パラミリタリー(準軍事組織、武装自警団)、④アメリカから援助を受けたコロンビア国軍、の4者が対立し、民間人を含む多くの犠牲者を出す事態となっていた。大学にいたのは、④であろう。ホアキンが、何かの会合を期待して廊下に集まっていた人々をかけ分けて行くと(2枚目の写真)、部屋の中にいたのは、父と、これまで登場したことのない父の古くからの友人アグレ。アグレは、マイクを片手に、「申し訳ありませんが、私の良き友人アバド・ゴメス博士の 今日の講義は開催できません」と言い、外にいる群衆からは 一斉に落胆の声が上がる。父はアグレからマイクを取ると、「お願いだ、聞いて欲しい。陸軍の監視やゲリラの脅威下で講義はできない。講義は、自由場でないと」と言う(3枚目の写真)。その後、意味不明の場面。TVでManuel Fabre Vélezと表示された学生(?)の死体が映る〔WEBでも見つからなかった〕。学生たちは、彼の死体を入れた棺をかつぎ、その周りで抗議の声を上げる。そこには、アグレ、父とホアキンも参加している。すると、そこに布で顔を隠した より攻撃的な学生が乱入してきて棺を奪い取り、副学長の部屋に運んで行き、乱暴に台の上に置くと、蓋を開ける。そして、「正義を!」と叫ぶ(4枚目の写真、矢印は父とホアキン)。

この事件を受けて、父はラジオで訴える。「暴力は臆病から生まれます。混同しないで下さい。保守主義者は、私をマルクス主義者と呼び、マルクス主義者は、私を保守主義者と呼んでいます。私は、常に自由を求めてき人間、ただの医師なのです」(1枚目の写真)。父は、市長の候補者として会見の場に出る。「もし、自由党の皆さんが私を選んだ場合、私は喜んで選挙に立候補します」(2枚目の写真)。それに対し、1人の記者が、なぜ、このタイミングで立候補したのかと質問する。父は、「今朝、ルイス・フェリペ・ベレス(Luis Felipe Vélez)氏が暗殺されました。言うまでもなく、この犯罪は、我々を沈黙させ、大学と知識を直接攻撃する連中の仕業です。パラミリタリーは、我々を倒そうとする突撃隊のように、やりたい放題をしている。誰かが、臆することなく、抵抗し声を上げねばなりません」〔ベレスは、アンティオキア研究所協会(ADIDA)の会長でコロンビア教育者連盟(FECODE)の理事。8月25日の朝7時半に、パラミリタリーの「Amorpor Medellín」によって暗殺された〕。会見が終わった後、先ほど質問した記者が、廊下に立って聞いてきたホアキンに気付き、寄っていくと、「友だちに 『やあ』とも言わないのか?」と声をかける。それは、少年時代に何度も出てきた友達ガブリエルだった。2人は、久し振りの再会に喜び合う。そして、ホアキンの父に、5分間割いてくれるよう頼む。ホアキンが父に声を掛けると、父も、大人になったガブリエルと嬉しそうに握手する。ガブリエルは、父に1枚の紙を渡す(3枚目の写真、矢印)。それは、メデジンで殺害の予告を受けている人のリストだった。そして、そこに父の名前も入っていた。父が、「コピーを取っても?」と訊くと、ガブリエルは、「お持ち下さい、先生」と言う。父は 「正直に言おう。ここに私の名前があって光栄だよ」と言う。

父と母とホアキンがカフェにいると、ガラスが叩かれ、初めて出てくる男が父に合図する。父は、今朝亡くなったベレスへの賛辞を(葬儀で)言うためだと説明し、カフェを出て行く。すると、外では、中年の女が加わり、3人が少し話し、一緒に去って行く。歩道を歩く3人。女は、「約束がありますので」と言い、「そのまま道を上がって行って下さい」と指示して分かれて行く。父と男は旧知のようで、指定された場所に近づくと、父が 「えらく少ないな」と驚く。「中にいるのかな?」。歩道にいた男達は、父に挨拶した後で、「葬儀に見えたのですか?」と訊く。「もちろん」。「2時間前に火葬場に行きましたよ」。ここで、先ほどの女が嘘を付いたことが分かる。その時、背後からバイクの音がしたので、2人は振り返る(1枚目の写真)。オートバイの後ろに乗っていた男は、父に近づくと、銃を取り出す(2枚目の写真)。そして、父に背中から銃弾を浴びせる。オートバイを降りると、前からも撃つ(3枚目の写真)。午後6時過ぎのことだった。

夫が撃たれて死んだことを知った母は、一緒にいたホアキンを連れて現場まで走る。2人は父の死体にすがりついて泣き叫ぶ(1枚目の写真)。そのあと、連絡が入った姉妹が、次々と駆け付ける。場面は変わり、ホアキンは、少年時代に訪れた検死室に行き(2枚目の写真)、父の遺体と再会する。そして、医師から着ていた服を渡される。血まみれになった上着を体に押し付けて泣いていると、胸ポケットに何か入っていることに気付く。そこで、その折り畳んだ紙を出して読む(3枚目の写真)〔内容は、映画の最後に読み上げられる〕

教会での父の葬儀。少年時代のマルタの葬儀と非常によく似ている。悲しみに耐えきれなくなったホアキンは(1枚目の写真)、マルタの時に父がしたように、途中で席を立つ。そして、以前のように、教会の出口まで行き、外をじっと見る(2枚目の写真)。もちろん、以前のように、父は立ってはいない。ホアキンは、昔、父が立ち尽くしていた場所まで歩いて行くと、10年以上経ってもそのまま補修されずに残っている舗装の穴ぼこを見ると、そこに溜まった水にホアキンの顔が映る(3枚目の写真)。

このくり返しで、映画は終わるのかなと思うと、マルタの時とは違い、大勢の足音が聞こえてくる。8月13日に行われた 暴力追放を願った “赤いカーネーションの行進” の再現だ。現れたのは、カーネーションを手に持ち、あるいは、ハンカチを振りながら歩いてきた大勢の市民達(1枚目の写真)。葬儀が終わり、霊柩車の後を、家族の乗った何台もの黒い乗用車が続き、その脇を、先ほどの市民達が歩く(2枚目の写真)。そして、車列の後ろには、大勢の人々が故人を追悼して続く(3枚目の写真)。映画の最後に、検死室でホアキンが見つけた紙に書いてあったアルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Luis Borges)の詩が詠まれる。「我々は、すでに忘れ去られている。我々のことなど知らない塵、最初は赤きアダム、今や全ての男たちの塵、我々が決して見ることのない唯の塵。その墓石には生没年が記されている。棺、不愉快な腐敗、経帷子、葬儀、そして挽歌。私は、神の名の魔法の音色にすがる愚か者ではない。私が地球上にいたことすら知らない者がいて欲しいものだ。この冷たく青い空の下で、それが本当だと思うと心が静まる」。これは、かなりの意訳になっている。最初の1節、「Ya somos el olvido que seremos」は、直訳すれば、「私たちは既に 私たちがするであろう忘却だ」となる。映画のタイトルには、この後半の「el olvido que seremos」、すなわち、「私たちがするであろう忘却」が、そのまま使われている。だが、これでは日本語にならないので、意を汲んで、詩では 「我々は、すでに忘れ去られている」と訳した。そして、映画の仮題は、さらに意訳して『忘却の国』とした。

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